だから備忘録。

観たものの記録。

2017/12/06〜2018/1/14 髑髏城の七人season月上弦の月3回分

12/26ソワレ、1/12ソワレ、1/14マチネ  髑髏城の七人season月〈上弦の月

感想を3回分まとめてドーン。

 

○捨之介(福士蒼汰さん)

 喉がめちゃくちゃお強い。福士くんはテレビでよく聞く声がそのまんまだった。すごい。

 

 <下弦の月>を見たとき、シーズン月は優しさが天魔王を殺す物語だな、と思った。でも<上弦の月>を見た今、そうではなくて、それぞれの正義がそれぞれを殺す物語だなと思った。(あるいは、それが上下で異なる特色なのかもしれない)

仲間に戻れる、天が落ちた今俺たちは自由に生きられると盲信している捨之介。無界屋蘭兵衛を殺し、殿と共に生きようとした森蘭丸織田信長という人物そのものに執着し、天下布武を目的とした脆きカリスマ天魔王。若さと勢いを兼ね揃えた<上弦の月>はこんな感じの勢力図だと思う。この三者三者を殺す。蘭兵衛は自分自身を、捨之介は天魔王を、そして、天魔王は捨之介を。

  いや実際に天魔王が捨之介を殺すわけではないんですけど、精神的にね。精神を殺してるだろうなって思えるシーンがある。天魔王が自分から死を選び闇に消えたあと、捨之介がおい!おい!って感情的になって崖?から動けなくなっちゃうところ。霧丸が引きずって、ようやくその場を離れられるんだけど、徳川軍が城になだれ込んでくる。「俺がひきつける」という、いつも通りの捨之介のセリフは、やっぱりいつも通り「かっこつけすぎだ」と言われてしまうんだけど、それでも偽物の笑顔を振りまく捨之介は、仲間だと思っていた/またやり直せると思っていた天魔王が死んで自暴自棄になってしまって自らの命を捨てようとしているんじゃないかな。すごいんですよ、別に、戯曲にないんだもん。いつも通り、天魔王倒して、「やったな」で、それで終わりのはずだったシーン。それがこうも感情揺さぶられるシーンに姿を変えてしまうとは。下弦も多分初めて見た時からこうなってたんですけど、初見時の記憶にそこまで残ってなかったんですわ。(そのあと2回見たらそうなってたので)

  12日の回でびっくりしたんだけど、だんだん場数を踏んで舞台度胸が付いてきた。12日、平間霧丸も粟根渡京もセリフ噛み倒してしまって、そしたら捨之介の初回ゼリフにアドリブで「噛んで」って追加してた!笑

 

○天魔王(早乙女太一さん)

  冒頭の安土城天守閣。「六欲天をご存じか。」未だ「人の男」である彼が、徳川兵に講釈たれながら、天魔の鎧を手に入れる。「これで今日から俺が……。いや、私こそが第六天魔王だ。」ここの声色が泣いてるんですよね。涙を流しながら殿の衣鉢を継ぐ天魔王。これが、<上弦の月>の天魔王像かなって。

  それからしばらくは他のシーズンの天魔王のように人心掌握にたけたカリスマとして現れる。問題は、2幕。「いいか。ここが髑髏城、ここが小田原城、猿が陣を敷くとすればこの石垣山だ。」の前、関東の図面を開く女が二人。この二人、下がる前に天魔王の頭を撫でる。なでなでする。甘やかしまくっている。おかしい。天魔王を慕う配下が2万人、という構図は天魔王が上に立って初めて成り立つはず。だのに、この二人は、頭を撫でた。それだけではない。生駒と天魔王の関係など、まるで親子のようである。たとえばエゲレスで政変が起きたために髑髏党への加担が白紙になり、この戦は負けであると悟った夢見酒直後のくだりは、生駒に甘えた声色で名前を呼び、さらに泣き崩れながら「地図を書き直さねばならぬな」と告げた。天魔王は生駒に抱きつき、生駒は優しく頭を撫で続ける。また天魔王が蘭丸を裏切り、城を抜けるために生駒を斬るシーン。「私が逃げたことを知る人間は少ないほどいい。」の言い回しは、他の役者であれば淡々と、生駒の命を命とも思っていない風にいうのが今までの天魔王。されど早乙女さん、「生駒ァ……私が逃げたことを知る人間は、少ないほど、いい……」と涙声で告げる。それを受け入れた生駒は、自ら天魔王の刃に体を預ける。息子を最大限甘やかし、導き、最良の結果をもたらさんとする母親のような生駒と、不安定ではあるが圧倒的人心掌握と戦に長け力を持つ息子、というような構図になってる、よ……???

  かと思えば、やっぱりカリスマ的面も兼ね揃えてるんですよね。それは捨之介たちの前に現れる時もそうだし、地図を広げさせた後女官?を椅子にしたり、のちに剣布も椅子にして座ってるし。生駒を切り捨てた後はケロっとしてるんですよね。こわいこわい。どういう心境なんでしょう。やっぱり人心掌握に長けた「人の男」だから、一人一人に合わせてるんですかねえ。

  <下弦の月>の天魔王は、ずーっとカリスマで、信長の真似をしているというか、きっとこの天魔王は、信長の天下人っていう器しか見てなかったんだろうなあと思っちゃったんですけど、<上弦の月>の天魔王はこんな感じで、俺は俺だ!!みたいな演技なので、たぶん信長そのものを愛していて、愛されたかったんじゃないかなって。だから、「あのお方の最後の言葉はこんなものではない」っていうのは、<下弦の月>なら天下に関することを言って欲しかったし、<上弦の月>では「俺」に対する言葉が欲しかった、っていうところじゃないのかなあ。二者の違いが楽しい。

 

○無界屋蘭兵衛(三浦翔平さん)

印象的なのは、「いい調子だねえ髑髏党。鬼の居ぬ間に乱暴狼藉か。」というセリフ改変。下弦は「いい月夜だねえ。こんな日は忘れたはずの思いが蘇り、妙に血潮が騒ぎ出す」のままだったので、この改変は三浦翔平への当て書きなのでしょう。他にも結構三浦だけのセリフ改変があって、「あの世とこの世の境もな」っていうセリフにはしびれました。

  座り方がドカッ!て感じで、なんだろう、太夫と恋仲設定を外してあったのもあって、よくできた男らしい息子、という感じでした。恋仲を外したおかげで「君死にたまふことなかれ」の説得力も増したし。<下弦の月>は太夫の手を握ったり、結構恋人で〜す!みたいな感じだったので、与謝野晶子の背景を考えるとちょっと何言ってんのかわかんない…ってなっちゃったんですよね(まあそこまで言葉の背景取り入れてないんだと思いますけど)親子とか兄弟みたいな関係性だったので、すっごく受け入れやすい歌詞になってたかなあとは。

 蘭兵衛、そのまま無界屋で生きて死ぬこともできたんだろうなあと思います。でも(やっぱり月最大にわかりやすくなってる「俺の三途の川は真っ赤なんだ」のおかげで)真っさらな手の太夫たち(や捨之介、が含まれるのかはわからないけれど)に手を汚して欲しくないから、無界屋の女と男、その命を救ってもらうために天魔王に商売の話をしに行くんですよ。んで、口説かれて無界屋蘭兵衛を殺してしまう。「無界屋蘭兵衛は死んだよ。俺が殺した。」今回のセリフ、殺したって明言してるんですよねえ。やっぱり前述した三者三者を殺すっていうのに響くというか。そんな気がしています。(こじつけ)

  口説かれて森蘭丸になって、3回衣装替えがあるんですけど、洗い髪の時にまだ口元に血糊が残ってるのが印象的でした。お美しい。

  まあ色々あって結局死ぬんですけど、最期の天蘭一騎打ちでは<下弦の月>ではやってる森蘭丸の目を切りつけるシーンがないんですね。びっくりした。

  そういえば、12日の回では兵庫が22万回ぶん殴れば〜」ってやったあとに兵庫を2回ビンタしてたんですけど、14日の回では3回ビンタしてた。びっくりどころか大爆笑してしまった。最近はビンタじゃなくて額押さえになってるそうで。

 

上弦と下弦の違いというか個性が出ててすごい楽しい。